蕎麦道

2010年07月29日 20:00

 この蕎麦道という言葉が私にはあまりしっくり来ません。
 蕎麦道の「道」という言葉には、人格の陶冶というような精神論が込められているようですが、柔道、剣道というような、本来生死を賭けるような行為ならいざ知らず、蕎麦という食物を作る行為に「道」というのはちょっとぴったりこないと思うのですが、いかがでしょうか。
 なんらかの行為に当たって、陶冶された人格、識見が求められることがあることを否定はしませんが、少し揶揄気味に語られる場合があることにも、一般にすんなり受け入れられていないところが伺えます。
 柔道にしろ剣道にしろ、それを極めるための第1段階では、敵を倒すための技術を磨くことが追求されます。しかし、やがて、技術だけではうまくいかないということが解ってきます。敵に立ち向かう勇気や、雰囲気などに呑まれない平常心など精神的な修養が必要であるなってくる訳です。その必要にせまられて、精神面の強化が図られるわけです。
 これが、物事の順序です。

 ところが、蕎麦道という言葉が語られる際には、あたかも人格の陶冶がその目的であるかのような状況になっているように感ぜられます。
 我々素人が蕎麦を打つ目的は、美味しい蕎麦を打つということであって、あくまでそのための技術を磨くことが徹底的に追求されるべきではないかと思います。そのためには、真摯な態度というものが必要になるでしょうから、そういう方面から「道」という見方がでてくるかもしれません。

 静謐な環境の下、端正で清潔な服装をし、心をこめて静かに蕎麦を打つ‥等というシチュエーションもあって良いのでしょうが、私はちょっとオーバーな気がします。勿論、色々な考え方があって良いのですが‥。

 なお、同じ「道」のつくものに茶道や香道がありますが、これらは最初から形式美を追求した精神的要素が強いものですから、人格の陶冶などということが強調されてもおかしくはないように思います。


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