蕎麦粉尽き果て‥

2010年03月18日 22:00

 私が稽古の会に参加する時刻は、仕事の都合で、他の皆さんからは随分遅れた時間になっています。
 今夕は、私が道場に到着する前のことですが、蕎麦粉が切れるというトラブルがあったそうです。ここで使用する蕎麦粉は北海道の工場から定期的に送ってもらっているのですが、蕎麦粉が丁度切れていたところに、輸送されてくる蕎麦粉の到着が遅れたからだそうです。そのために、皆さんは、手持ち無沙汰になったり、残り物をかき集めたり、といったことになってしまいました。
 丁度、今夕の話題に準備した内容とダブるところがあり、ちょっとした偶然に軽く驚きました。
 今夜の稽古の会では、昭和20年3月16日に硫黄島守備部隊指揮官栗林中将の発した決別電報に添えられた(時世の)歌、

「国の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞかなしき」

に関連して話題を提供しました。

 歌の意味は、
 「(硫黄島における最後の敢闘を行なおうとするものであるが、)弾丸尽き、水も涸れ、ついに戦うための手段を失い、本土防衛の要地確保という任務を達成できないことは、これほど残念なことはない。」
 というものです。

 昭和20年2月19日から3月下旬の間、硫黄島は大東亜戦争最大の激戦地となりました。栗林中将は現地最高指揮官小笠原兵団長として寄せ来る7万5千の敵兵力に対して、約2万1千の陸海軍将兵を指揮し、島内全長18キロにわたって建設した地下壕の中で、その地熱に耐えながら長期持久戦を敢行された訳です。この悪条件のなかで、圧倒的兵力を誇る米侵攻軍に多大な損害(死傷約2万9千)を与えました。(我が軍は95%の約2万が戦死)
 自分の務めを果たすために本来持っているべき道具がない無念さ。いかばかりであったでしょうか。

 私がこのような話をすることで伝えたいことは、大要次のようなことです。
 今のこの時代を作っているのは自分達だという思い上がりは不可であり、我々は先人の遺産の上に在るのだという見方が大切だ。その第一歩は、先人のその足跡を知ることだ。こうして、過去と現在のつながりを認識し、更には未来への思いを深くするということで、縦軸で繋がった(日本という)国家というものをしっかりと理解しなければならない。
 人間は一人で生きることは出来ず、「国家」という、先人(過去)と子孫(未来)をも含めた、いわば運命共同体という大きな器全体を育てることが、回り道でも本来の幸せ追及の姿であると思うからです。

 当夜の別の話題として、「近頃は蕎麦打ち3段を3年で取るような人が現れたが、以前には考えられないことだ」というのがありましたが、それもまた、蕎麦打ち倶楽部を始めた先人の皆さんの遺産の上で実現した話であって、その人の力がそうさせたのでは決してありません。
 我々は、先人の有り難い遺産の上に努力を積み重ね、後進にそれを繋ぐ、ということでないといけないと思いますね。


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