集団的自衛権

2014年05月26日 21:25

 先日(15日)、安倍首相が、集団的自衛権の行使容認について国民理解を得るための記者会見をしました。
 首相は、いよいよ具体的行動を起こしました。
 集団的自衛権の行使を憲法の解釈変更によって認めるべきか否か。
 私は、大いに賛成との立場をとりますが、その後のテレビ等を見ていますと批判の声が盛んに湧き上がっているようです。
 下の写真の新聞記事は、その例です。
 大新聞とも称される東京新聞が、明日にでも、国民が戦場の危険に晒されるかもしれないというムードを作っているわけです。
   東京新聞「戦地に国民」

 こんな記事を見せられれば、多くの国民も、不安感に駆られてしまいます。でも、集団的自衛権の行使を容認すると、そんなに危ないのでしょうか。

 主な反対意見(Q)とその反論(A)を、以下、ざっくりと書きます。
 皆さんは、どう考えられますでしょうか。


Q1. 「日本が戦争に巻き込まれる」
A1. 集団的自衛権というのは、「集団的」という言葉通り、仲間で相互に守りあうというのが本来の主旨です。確かに、巻き込まれる事態は可能性としてありますが、その一方で「(同盟国(=米国)を)巻き込む」というメリットが大きいという点を見逃してはなりません。
 今、南沙諸島をめぐって、ベトナム・フィリッピンと中国の関係は非常に緊迫しています。ベトナムでは、過去、軍人の死者も発生しています。
 一方、我が国の尖閣諸島では中国公船の出没は続いていますが、南沙諸島ほどのレベルには上がっていません。それは、我が国には日米安保条約があり、米国の後ろ盾があるからです。
 しかし、本当の有事に、米国は来援するのでしょうか。
 いろいろと論議がされているように、その点が若干不明確です。
 従って、この点をできるだけ確実なものにする必要があります。
 今回、集団的自衛権を行使するということを明示することで、米国の来援がより確実なものになります。いわば、安全性が増すわけです。
 昨今の中国の脅威の増大と米国の弱体化傾向をみれば、今までのままでは非常に危ういと言わねばなりません。最近のニュースによると、中国とロシアが連携を強めています。山口組と住吉会が手を結んだようなものですから、情勢は更に悪化しているといえるでしょう。

 日本は、戦後70年近く、米国の庇護の下で安穏としておられたのですが、国際情勢はそれを許さなくなってきました。そろそろ、現実に目を向け、「(巻き込まれるかも、という)覚悟」をしなくてはならない、ということなのです。


Q2. 「もっと外交努力をすべきだ」
A2. 防衛の問題を議論していると、必ず出てくるコメントがこれです。
 いわせてもらえば、「そんなの当たり前」です。当たり前のこと言ってくれるな、という感じですね。
 外交努力をしても、わからないヤツ、聞こうとしないヤツがいるのです。中国、韓国がそうです。
 こうして、精一杯の外交努力をしてもダメなときに、最後に残された手段が戦争です。その時に、なにも準備が出来ていないと、国は破れ国民はそれまでの平穏な生活を失うのです。「あなた、それでも良いのですか?」ということなのですね。
 また、外交に成果を得るためには、それを裏から支える軍事力が必要なのが、国際社会の、これまた「現実」です。「もっと話し合いで。もっと外交努力を。…」と言っている人たちは、その現実を見ない、いわゆる「お花畑の住人」なのです。


Q3. 「もっと議論を尽くすべきだ」
A3. これは、反対者側の「先延ばし策」です。
  これまでに、議論は延々と行われています。その都度、結論はうやむやのままで、今日まで来ているのです。その原因は平和ボケの国民が大勢を占めていたということ、真の意味で政治生命を賭ける政治家がいなかったこと、などが挙げられます。しかし、上に書いたように、国際情勢は変わってきています。米国の力が弱まり中国の脅威が高まってきて国民も目が覚めてきたところに、安倍さんという真に国家国民のことを考える政治家が現れたということだと思います。
 まさに、「(やるのは)今でしょ。」です。
 議論の時間は、大方終わっています。
 
 なお、集団的自衛権という当然の権利についてとやかく騒いでいるのは、世界で日本だけです。本来は議論にもならない当然すぎるようなことなのです。


Q4 「(解釈変更ではなく)憲法改正をすべきだ」
A4. これも、反対者側の「先延ばし」策です。
  こう述べる人の真意は「行使容認反対」なのですが、その人たちが「行使容認するのなら憲法を変えるべきだ」などと言っている訳でして、全くの矛盾です。この人たちは、憲法改正反対と言っている人達と重なるのですが、その人たちが、憲法を改正すべきと言っているのですから、なんかもう、むちゃくちゃです。


Q5. 「国民の意見を聞くべきだ」
A5. 我が国は、間接民主制を採用してます。
  我々は、自分の意見に近い国会議員を選挙で選び、ある意味、政治を彼らに任せている訳です。
  安倍首相は、その国会議員に選ばれた総理大臣ですから、我々国民が認定し権限を委任した最高責任者である訳です。
  それなのに、あたかも総理大臣が個人的な考えで無理筋を通そうとしているようなムードが作られていますが、実際はそんなことはなく、法令(ルール)に則って行われているのです。
  意見は好きなだけ言っていいですが、その場合は「国民の意見を聞け」ではなくて、「私の意見を聞け」と言わねばなりません。(言論の自由は保障されています。)


Q6. 「自衛隊隊員が人を殺すことになる。死ぬことになる。」
A6. 日頃、それほどの思いやりをなさっているとは思えない方々が、このようにおっしゃるのを聞くと、なんだかなぁ、と思ってしまいます。つまり、こういう人たちは「私はこんなに良心的で、いい人なんですよ」とアピールしたいだけなんですね。

  自衛隊員は、入隊の際に次のような「宣誓」をし、昇任等の節目にもこれを声を出して読み上げています。
  宣誓の主要部分は、
  「…事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」(自衛隊法第52条)
  というものです。
  ここで述べていることの究極の事態は、「人(敵)を殺すことや自分が死ぬこと、がある」ということです。
  自衛官は、このことを一度は必ず真剣に考えます。そして、それぞれなりの覚悟を決めるのです。この点について生半可な考えの自衛官はほぼゼロといって良いでしょう。
 ですから、上のことは、軍人に対する最大の侮辱であると言えます。(そういうセンスが欠けている点が、戦後日本の大きな問題点なのですが。)


Q7. 「その時々の政府が、憲法をなし崩しに解釈するようになる」
A7. 歯止めが利かなくなる、ということを言っているのですが、そんなに自分たちが信用できないのでしょうか。
 憲法といっても限られた字数で書いてありますから、解釈は必ず必要な部分が出てきます。それを成し得るのは、国民から信任された、時の政府しかありません。いやなら、選挙を通じて、よりしっかりした政治家を選ぶ、ということだけのことだと思います。


Q8. 「戦争できる国になってしまう」
A8. そう、そうなることが良いのです。
 日本は戦争が「できる(という普通の)国」にならなければなりません
 これは、戦争を「する国」、ではありません。この差は大きいです。
 先の大戦の結果、日本人が持つ戦争につながる発想は、非常にいびつなものになりました。戦争は単純に悪であるとしていますが、そう言い切れるものではありません。また、戦争反対を唱えるだけで平穏な生活を維持できるわけではありません。
 病気や災害は嫌ですが、真摯にこれを受け止めて、予防の方策と罹病(罹災)した時の対応策を具体的なシステムとして準備しておかねばならないのは、中学生でもわかることです。戦争についても同じことが言えます。



 「戦争とは政治の延長である」とは軍学者クラウゼビッツの言葉ですが、戦争はなにも特別なものではなく、国際社会で認められている、政治のひとつの手段であるのです。それ故に、戦時国際法という「国際法」が戦争のルールとしてこの世の中に存在しています。これが、国際社会における「戦争」の位置づけです。
 「戦争は避けねばならない、しかし、その最悪の事態への備えはしなければならない」というのが国際社会における大人の常識であるのですが、ひとり日本だけが蚊帳の外にいるという構図なのですね。
 この現実に、しっかり目を向ける時が来ています。

首相会見


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