今年の目標 - 無駄をなくして美しく

2014年01月01日 13:14

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
  一昨年の正月に掲げた目標は、
 「理にかなった、スマートな蕎麦打ち」を目指して…、
 流れるような美しい動作で、蕎麦が打てるように…
 というような内容でしたが、今年も基本的には同じです。(進歩がない!?)

 「美しい」という言葉を使っていますが、そもそも、日本人の持つ価値観の中で最も大きなものに、この「美」意識があるように思います。
 そして、その「美」というのは、沢山の装飾によって飾り立てられた美しさではなくて、それらを削りに削っていって、最後に残ったシンプルさの中に感じ取られるという場合が多いようです。
 
 例えば、西洋の教会などでは壁面や天井がこれでもかという位に飾り立てられますが、日本の神社では必要最小限の装飾に押さえられております。日本の生け花もその好例でして、余分な葉や枝はどんどん落としていって、本当に必要なモノだけが残され、そこに「美」が認識されます。

 このように、空間をモノで埋めつくしていくのではなくで、むしろ削ることで、結果として何もない空間が多くを占めるような状態を作り出し、ひょっとしたら、そういう空間に「美」を感じているのではないかと思うほどです。


 蕎麦の話に戻ります。
 多くの皆さんがそうだと思いますが、私達は、姿・形の良い、美しい蕎麦を打ちたいと思っています。
 さらにそれを、流れるような美しい動作で打ちたいと思っています。そう思うのは、上に書いたような「美」に対する価値観だけから来ているのではなく、「用の美」とか「機能美」という言葉があることから分かるように、良いものや(それを生み出す)良い動作は美しい、と考えるからです。

 そして、この「動作の美しさ」というのは、やや具体的に言えば、前にも書きましたが「目的に叶って無駄がない」ということではないか、と思います。

 こじつけ的な話になりましたが、そういうことで、今年の目標は、
 「理にかなったスマートな蕎麦打ちをめざし、流れるような無駄のない美しい動作で蕎麦を打てるようになる
 ということにしたいと思います。(「無駄のない」を追加して強調することにします。)

 
 さて、話が少しそれますが、不肖の身の回りの生活空間を見ると、恥ずかしながら、上の精神と大いに反して、ごちゃごちゃとモノで溢れています。そして、年々その傾向が強くなってきています。
 そういうことで、今年はひとつ、生活面についても無駄を大いに削っていきたいと思います。
 そろそろ旅立ちの準備ということも考えなければなりませんしね。



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