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JUDO

2012年08月05日 18:17

 オリンピックも中盤ですが、期待の柔道が終わってしまいました。
 男子は、金なし。
 残念な結果ですが、「選手は一生懸命やったのだからしょうがない…」とばかりはいえないのが、ほかならぬこの柔道です。
 柔道が国際化するにつれ、このような結果になる予感はあったのですが、ここにきて、「世界はJUDOなのだ」ということを見せつけられたように思います。

 少し前までは、きれいな一本勝ちが多く見られたように思いますが、今回のオリンピックではそれが少ないようです。
 ぐじゃぐじゃともつれあって、最後はへたりこんだりしています。そして、なかなか立ち上がりません。
 なかには、とんでもないやつがいて、時間稼ぎをするために帯をゆるく締めてすぐほどけるようにしていたり、相手に「指導」が行くような試合運びをするやつもいました。
 そんな試合を見ていると、なんだか柔道が侮辱されているようで、腹が立ちます。

 少なくとも国内の試合では、こういう情景はあまり見られないようですから、やっぱり、JUDOになってしまったようです。
 こういう中で、日本国民の期待を背にして戦う選手たちも大変だと思いますが、ついこの間までは、井上康生、野村忠宏、古賀稔彦、谷本歩実…など、見事な一本勝ちを見せてくれた選手たちがいました。
 柔道は、やはりこれでなきゃいけませんし、なにしろ「我々の柔道」ですから、関係者にはなんとか頑張って貰いたいと思うばかりです。

      TANIMOTO.jpg
                     谷本選手の一本
      
 このような思いになる方は多いと思いますが、なんとか頑張って欲しいと言っても、「JUDO」と「柔道」では、まずその目的が違っているから、ことは簡単ではありません。

 「JUDO」では、一定のルールの下でなにがなんでも勝つということに目的が置かれているのに対して、我々の「柔道」では単に勝つのではなく、それに加えて、美しく勝つということがもうひとつの目的として意識されています。つまり、ハードルが高くなっているのです。これでは、勝つこと自体が困難になりますし、だからといって「JUDOは目的が間違っている」ともいえないのです。両者の価値観が違うわけですから、我々日本人の観戦者がとやかく言っても、自分たちのフラストレーションが高くなるだけです。

 さて、これをそば打ちの話にこじつけますと、「段位受験用のそば打ち」と「自分なりのそば打ち」の話と似ています。
 前者は受かること(競技に勝ち残ること)が目的ですが、後者はそれぞれが美味しいと思うそばを打つことが目的になります。目的が違いますから、当然、打ち方は異なってきます。そして、どちらが良いとか、邪道だとかいう価値判断を持ち込むことはできません。それぞれが違う次元で打てば良いわけです。

 柔道の場合も、同じように「競技としてのJUDO」と割り切ればよいのでしょうが、そうは簡単にいきません。日本の選手が上の例のようなJUDOをしていたら、私たちは彼を軽蔑するでしょう。そんなJUDOは見たくありません。
 私たちはやはり、どんな相手であろうときれいな一本で勝ってもらいたいのです。
 ということで、どんな相手でも、一本で、どんどん切り取っていけるような選手が出てくることを期待し続けたいと思います。
 関係者の皆さん、次のオリンピック、よろしくお願いします。

 で、最後にそば打ちの話に戻しますと、私としましては、効率的かつ美しい動作で、美しくかつ美味しいそばが打てるようになりたいと、欲張って考えています。



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